叶えたいことの途中地点と、実は叶えたいことの外にあったキラキラして見えた場所と。

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世界は、わたしの鏡。

12月の半ばに、念願だった新しい環境(イメージしてもらいやすく言うならば新しい仕事みたいなもの)に飛び込むことができました。

応募者がたくさんいる人気の仕事で
募集がかかる機会も限られていて
そんな中で、何度も選考してもらって
面談までしてもらっての採用だった。

なのに年末には、それが苦しくて仕方なくなっていて。

自分の中でうまく説明できないもやもや→テンション、やる気が落ちていく感覚と戦っていたのでした。

いまは説明つくのだけど、
ひとつひとつを取り上げていくと長くなりすぎるので
端的にひと言で言うと。

「”彩”というひとりの人間を
尊重して大切に扱ってもらえなかった」

ということ。

面談のときに気持ちを伝えた相手が、
いつのまにか目の前からいなくなっていて
現場で関わるひとたちが、いきなり目の前にあらわれたちぐはぐ感。

あんなに面談でいろんなことを聞いてくれたのに、
わたしが伝えた気持ちが、いつのまにかどこかへ消え失せてしまって
それに対しての説明がもらえないまま
気づけば一人工(いちにんく)としての扱いを感じてしまって苦しかった。

面談してもらった相手はずっと慕ってきた方だったから
なんとか自分を納得させてがんばろうと思ったのだけど。

がんばろうと思えば思うほどに、気持ちがぺしゃんこに潰れていく感覚になって
どんどん元気がなくなってしまった。

で、結論として
「やーーめた!!」
をえらぶことにしました。

自分を納得させるための思考を何度もくりかえすたびに下がっていたものがあった。

わたしはわたし自身の”自己重要感“を
激しく下げていたように思う。

「わたしの人生の目的は、わたしが楽しく幸せであること。
すべてがそのための手段。」

やりたいことしかやらない宣言をして1年。
選択の迷いは、だいぶなくなったけれど
久しぶりに今回はここからズレた。

(自己愛を体現するわたしの師匠、

ハナ先生※猫です)

叶えたいことの途中にあるものだって、時として苦しさを伴うこともあるけど、
今回のことは、その類ではなかった。

叶えたいことの途中にあると思っていたことは、実は叶えたいことの外にあることだったんだなぁ。

とてもキラキラしていて眩しくて

目が眩んでしまって、意図せずながらも寄り道してしまいそうになっていた。

当たり前だけど、

誰も道すじを示してはくれなくて

わたしが自分に向けて示すべきことで。

そして、誰よりもわたしが

わたしというたったひとりの人間を

尊重して大切に扱う“、ということ。

この年末年始のもやもやが教えたかったことって、

たぶん、そういうことなんだ。

わたしにとって、

もっとも大切なこと。