その発信が、誰かの役に立つ。

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わたしがFacebookでの発信を始めたのが2013年ごろ。

Facebookには”過去のこの日”という機能があって
2013年とか2014年の過去投稿をいま読み返すとひぇぇ!と、恥ずかしいことだらけなのだけど。

というのも、実は当時のわたしは某・怪しいビジネスにはまっていて(^^;笑)
会社員時代とはまったく異なるものの見方とか考え方を日々学んでは、
ひたすらSNSに発信しまくる毎日を送っていたから。
(良くも悪くも、はまると勉強熱心ではある)

それでも、あのときのわたしは
発見の連続な毎日に興奮して、感動していた。

新卒の会社では”キラキラ女子”的な位置づけで、きゃぴきゃぴと流されることしか知らなくて、自己愛も自信も低くてメンタル弱い系の20代の女子が

「ウェブ上で自分の考えや体験を発信する」ということの意義を、まだふわふわした脳みそだったけれども
真剣に考えては、当時なりの信念を持ちながら実行し続けたことに
意味があったように思う。

絶賛キラキラ中!

あのときに知った、ものの見方や考え方の大部分は途中で捨ててきたけれど
当時インプットしたことも、アウトプットをしていたことも無駄ではなく
わたしの中心にある”厚み”みたいなものを裏付ける要素として、ちゃんと活きている。

だからわたしは、
お金の問題も
病気のことも
身体と心のことも
結婚や恋愛のことも
誰よりも当事者だった身から、語ることができると思っている。

いまのわたしが発信する意義は、

そのあたりにあるんじゃないかな。

 穏やかに、目の前の幸せをかみしめられるように。

情報を受け取る側としてのお話。

20代のわたしが人生を切り開いていく過程で、
大きくきっかけをくれた人物は3人います。

まずスタートは、最愛の主人。

いまだにたくさんのバトンやきっかけをくれる、頼れるパートナーです

もしも、当時は尊敬する友人だった主人が
「インターネットと農業」という自媒体での発信をしてくれていなかったら。
イベントの告知をしてくれていなかったら。

わたしは、会社員からドロップアウトしてしまった挫折に打ちひしがれ
いわゆる”病んだ”状態のまま(当時は不安神経症とパニック障害)、光を見出すことができなかったし

「たまにはtsukiでも眺めましょ」オーナー・髙坂勝さんにお会いすることもなかった。

憧れのおとなであり、次世代の生き方へのわくわくをプレゼントしてくださった髙坂さん。

もしも、髙坂勝さんが
お店を出してくださり
本も出してくださり、そしてそこでイベントをしてくださらなかったら。

わたしは、会社員のそとにある生き方のなかに
こんなにカッコいい大人たちがいることを知らなかったし

そして、そこで
森の生活者・四角大輔さんにお会いすることもなかった。

ライフスタイルのお手本の大輔さん。

※画像はお借りしました

もしも、四角大輔さんが
イベントをしてくださり
ウェブに露出してくださらなかったら。

わたしはいまだに
自分の心の声を見失って、誰かの声に惑わされ続ける毎日しか知らなかった。

そもそもが異なる立ち位置の3人なのだけど
バラバラに出会ったのではなくて、ドミノ倒しみたいに
一連の流れの中で出会っている。

ウェブや発信の面白さや素晴らしさって、
こういうところにあると思うのです。

誰かの発信をきっかけに
自分の人生がポジティブに変わる瞬間に、わたしはなんども出くわした。

それは、書ききれないけれど

ここに書いていない方々からも
素敵な発信を受け取らせていただく機会もたくさんあったことも含めて。

だれかが受け取ってくれるかもしれないし、

だれも受け取ってくれないかもしれないし、

それはわからないけれど。

アウトプットが、いまのわたしが世界にできる恩送りなのかなと思っています。