「鯖の味噌煮事件」で味わった、恐れと孤独感。

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先週は家のご飯作るのにも 気がそぞろになりがちだったり、インスタグラムもいまいち上げられておらず。

自分の中であるていど確立していた料理というものの概念が、なんだかちょっと打ち砕かれたような感覚を覚えるできごとがあった。

挫折感まではいかないけど、得体の知れないものへの恐れのような感覚に

それでも、”料理”をやっていきたいのか?

“料理”をなりわいにして、自分の”料理”でお金をもらうことをやりたいのか?

そんな問いが浮かんでは 胸の中に染みみたいに広がっていった。

食べること、作ること、人に食べさせること。

“人に食べ物を振舞う”ということを なりわいにしたい、と思ってきた。

“こういうのすごく幸せ。祖母と母をおもてなし@2017年夏”

去年の年末くらいからいままでの およそ3〜4ヶ月間のこの短い期間に、公の場で「料理をして食べてもらう」、さらには「お金をいただく」いくつかの機会にめぐりあった。

料理はずっとしてきたけど、生まれて初めて、10人規模の大量調理というものをやらせてもらう機会に 奇しくも秋から冬にかけての短期間中に 何度もめぐまれる。

(家庭で2〜4人分とか作るのとは別物で、とても学びになった次第。)

謝礼をいただいて、ご飯会のコックさんをやらせてもらった日が何日か。

そして 農家さんのおうちに遊びに行った際に、その日居合わせたみんなのご飯を作らせてもらった日もあった。

 

少し余談だけど、そこで味わった感情や感覚は、たぶん一生忘れないだろうと思う。ご飯って、場の一部なんだと思った。美味しく優しく、人と場に溶け込んでいけば成功だ。

*****

今年に入ってから、既存の店舗を使って一日店長をする話が出現したり、家族の持ち物件を使っていいよ〜!っていう話があったり、そして妹のツテで ランチタイムの料理人を探しているお店の話がもちあがったり。

こう書くと、恵まれてるんだなぁ。

そんないくつかあった機会のうちいくつかはすでに、なんだか最後の最後でピンとこなかったりして 年末から年始にかけて検討してたものは見送る結果に。

ただ実際検討していたこと、いまもまだ検討している話もあって、それらは仕入れのシュミレーションから経費計算とメニュー作り、実際にその経費内で試しに料理をしてみる、ということをやった。

細かい説明ははぶくけど 去年経費出してみたのは こちらはもうすでに手放した話だけど、イベント的に出す料理のメニュー
その企画内では 客単価2500円くらい見れたので、いつも自分で食べていて美味しい!と思っている食材を使って経費計算をしてみた。

そして今年に入ってから経費出してみたのは、これが直近で検討中なのだけど 一日店長を任せてもらって出す ランチのメニュー
もちろん、いざやる場合は 仕入れの業者さんを見つけてやるのが良いだろうけど、試験的に 手近なスーパーで食材を買って料理をしてみた。

要は、いつもと違う食材を使って家で料理して食べてみたわけ。

原価率は25%前後で仕入れ(買い物)。
※一般的には30%と言われることが多いみたいだけど、キッチンで働かせていただいたお店で25%を推奨されたのでこの割合で計算してみた。

原価内という制約はあれど、もちろん この2年ほどをかけて勉強してきた知識を使って しっかり精査・吟味して選んだ食材で作ったごはんを食べてみた感想。

「鯖の味噌煮事件」。いつもと違う食材で、いつも通り作った料理を食べて受けた衝撃

今回、時間の制約もあってまず二日分の夕飯として想定する献立の試作と試食をしてみた。

一日目の肉じゃが定食は、ふつうに美味しくできた。

が。

二日目のサバの味噌煮定食は、美味しくなくてびっくり(O_O)

今思い返すと あれは、自分の中ではまずかったレベル。

料理の腕が狂ったのかと思ったくらい。。。

さばいた鯖に 塩を振り置いて、霜降り(湯通し)をして冷水で洗って もちろん生姜も入れて味噌煮を作ったのだけど、臭みが取れない。そして、

鯖の身から鯖の味がしない。

(※余談だけど、完全に信頼している魚や肉だと この霜降りはやらないというのもマイルール)

料理の方法論としていまのわたしが持ってるのは

☆調味料を食べているような濃い味付けはしない、素材の味を活かす 

☆酒・醤油・みりん・塩・ときおり甜菜糖をベースにした素朴な和食が基本食

で、人に食べ物を振舞うときも これを基本に置いてるのだけど、外食においてはそもそもの方法論を変えなきゃいけないのかな、、、とか 考えてしまった。

これは素材の問題だと思ったり

どんな食材でも美味しく作れるスキルを持っておくべき?だから やっぱりわたしの腕の問題だとか思ったり

いやいやでも やたら味付けをして”調味”のスキルを伸ばすことがやるべきこと?違うんじゃないか??とか思ったり

そもそも人に何を食べさせたいの?安心安全で美味しいごはんでしょ?自分が食べて美味しいと思ったものでしょ?とか思ったり

高い値段を設定して最上のものを食べさせるのがいいのか 適度な値段でそこそこのものを食べさせるのがいいのか?とか考えたり。

市場価格(俗に言う適正価格)からの原価率からスタートしたからだろうか。

良い悪いは別として、

これまで思ってきたことから すごい勢いでブレていったような感じがした。

“食べたい!と思った食材”をまず見つけて、その食材自体にお金やエネルギーをかけて調達し 料理し 食して 満足感を得ることと、
自分以外の人が”ごはんを食べる際に出したい金額・出せる金額”をこちらで一律に想定して その金額の中で許す原価率で適当な食材を調達して料理して、食してもらうこと。

前者は “食そのものの価値”をいちばん大切にしていて、後者は”支払ってもらえる金額”をいちばん大切にする。

同じ料理なんだけど、なんだか別の作業な感じがした。

いまいまの結論は?

わたしは、素材の力を信じてる。

美味しくて惚れるような”食材”を愛でながら、料理をしたい。
これ美味しいでしょ、これはこんな素晴らしい食材なの!って 作り手の代わりに自慢しながら食べさせたい。

そういえばこれって 去年まで仕事でやらせてもらってきたことだなぁ。

農家さんのこだわり、農家さんの人柄を伝えて農家さんが育てた野菜を食べてもらうこと。

そしてそこには、仕入れの努力というものもちゃんと存在していた。

“店モロバレだけど、ここではあまりにたくさんの学びをいただいた。本当に素晴らしい店です”

価格についてはマーケットイン的に いくらなら食べてもらえるか?そのためにいくらの食材を使えばいいか?だけを考えるのではなく、プロダクトアウト的に この素材の美味しさを伝えたい!食べさせたい!だから原価はこのくらいで売値はこのくらい!という考えも、どこかに持ち合わせておきたい。

後者をベースに置きながら、仕入れの量やルートを練って 価格を市場に寄り添わせる努力をする流れを作りたいと思った。

ただ、どうしてもベストな食材が手に入らないというケースも 存在するわけで 都度都度よりごのみしないで、目の前の食材に対応していける力は つけていきたいとも思った。

対応していける力、というのはきっと 対応していける考え方とイコールだ。

この肉でなければ!有機野菜でなければ!この塩でなければ!というところからは抜けていきたい。

けど、同時に こだわりは捨てたくない。

食べ物だけは、なぜ安いのかの理由(高いものに理由がないことがあっても、安いものには必ず理由があるから)を考えることを捨てたくない=安易に安さにだけ走ることは、したくないと思う。

新しいことを始めるときの、孤独な戦い。

今回、献立作りから食材のリサーチ、原価計算に試作試食と この一連の流れを2日〜3日やっただけなのだけど
なんだか恐ろしく孤独で心細い気持ちになった。

自分がやってきたこと、自分がやろうとしていることが 本当に正しいのか?これでいいのか、ベストなのか。

みたいな、そんな感情。

たった数日の単発の構想の短時間で、こんなにドキドキざわざわするわけだから 起業する人とかって本当にすごいんだな。未知なる体験。

飲食にまつわるなにかをやりたいとおもいながら、例えばお店出したり 屋号持って何かするときって きっとこの比にならないくらい、いろんな感情やプレッシャーや葛藤を抱えるのだろう。

「さぁ、それでもわたしは料理を食べさせたいのか??」

おそらく最後には、そんな問いを立てては自問自答し続けていたような この一週間。

追伸

この一週間ずっと鯖の味噌煮について考えすぎて、ついに外で鯖の味噌焼きを試しに食べてみた本日。