書評■□遠藤周作「沈黙」をこの一週間で2回読んだ。

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妹が昨年から薦めてくれてた作品で、

当初は読んでなかったのだけど

家族LINEでシェアしてもらった記事から興味を持って

まず小説を読んで、映画を観に行こう!というテンションに。

家族LINE。※この時点で映画はこき下ろされている笑

この記事で興味を持つことに。

小説は、妹のいうとおり

3日ほどであっという間に読み終わった。

で、映画を観に行くにあたって

もう一度読んでおこうということで再読。

…この二周目が、特に面白かった。

「沈黙」の真価は

二周目以降にあるんじゃないだろうかと思ったくらい。

↑言いたいこと、

ほとんどこれで終わり。笑

※ここからは、さらっと書く備忘録だけど

もしかして

ちょっとネタバレになるのかも。

【主に二周目で気づいたことの覚え書き】

◆ミイラ取りがミイラになる物語である

◆フェレイラとロドリゴの体験、感情、境遇は近似しているが

各々が抱く信仰および行き着いた先は、じつは別物なのではないか?

◆”わたしはこの国で有用である”
“教えが湾曲されて伝わっているのではないかという予感と不安”

→ロドリゴが前半に抱くこの感情描写は、後半のフェレイラの心情吐露時に

彼らの近似性を示す布石となっている。

◆自分のそとに神を持つということの不安定さ
(自己愛の低さ、そこに自分が不在の状態)

◆ロドリゴを追い詰めているように見えていた通辞だが、じつは、誰かが死んだり苦しむのを見たくない想いを裏に抱えていた。

◆トモギのじいさまは途中で死んでしまった?

◆”不意に、彼は暗い衝動にかられた。鈍い音をたてて貝殻は掌の中でつぶれた”ことや、

キチジローを放っておくことに思う心理的快感など、随所に見られるロドリゴの残酷性、人格の未熟さ

◆正・誤の概念について。キリスト教=正、それ以外は悪と言い切るあやうさ

※映画レビュー編に続く