さいきん言語化できたのだけど
思い返せば 子どものときから
ずっとずーーーっと 潜在的にあった価値観、
貧乏”くさい”ということが
死ぬほど嫌いである
ヽ(´ー`)ノ
周りの人を見ててもそうだし、
自分の行動においてもそう。
なんかもう、
切腹レベルにもだえるほど イヤ。笑
、、、
でも、貧乏なときもあったし
いまも
「うおー!手持ちが1万切ったー!!!」(笑)みたいなときだって、あるし。
なんとゆーか、
「貧乏」もそうだし
「病気」もそうだし
「怠け」とか
「怒り」とか「悲しみ」もそうだけど、
状態として存在するのはOKなんだけどね
それが恒常化した人にはなるなってことなんだな〜。
「貧乏」な状態になってもいいけど
“貧乏人”にはなるなだし、”貧乏くさい”感性を自分に許すな。
「病気」になることがあってもいいけど
“病人”にはなるな。
「怠け」る日があってもいいけど
“怠け者”にはなるな。
「怒り」を感じることがあってもいいけど
“怒りっぽい人”にはなるなだし、
「悲しみ」を覚えてもいいけど
“幸薄い人”にはなるな。
☆☆
「貧乏」と”貧乏くさい”については、わたし自身がずっと混同してきたから
やみくもにお金を追い求めるのに、変に見栄を張って散財したりして
結果、”貧乏人”ループ。
いま わたしが思う”貧乏くさい”っていうのは、
目先のお金という物体の増減だけを見ていて
その先にある価値を受け取れないということだ。
例)
「安いから買っておかないと損」
→そもそも、それ欲しかったの??
定価でも欲しいものなの?
「食べ放題だから食べないと損」
→そもそもそんなに食べたいの?
「楽しみにイベントや飲食店に来たけど、できるだけ安く済ませたいから
節約しながら楽しもう」
→価値を受け取りにきたんじゃないの?
その節約した数百円を払って得られる価値(本当は食べたかったものとか欲しかった体験とか)を 捨ててもいいの?
「あと少し仕事して、残業代稼いでいこう」
→とっとと終わらせて、信頼を稼ごうとか思わないの?
☆☆
貧乏くさい”というのは意識の向け方と健全な直感力の話なので、
お金持ってる人でも 貧乏くさい人っているなーと いろんな人見てて思う。
逆もしかり♪
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