ひとりの自由、ふたりの自由。

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「結婚は、自由のはじまりだ!」

大好きな森の生活者・四角大輔さんからこのことばをいただいたとき、なんて素敵なことば!と胸が熱くなったけれど
当時は胸に落ちきらなかったというのが本音だった。

結婚してから、ちまたで言う
結婚は人生の墓場だ〜的な(さすがに墓場までは思わなかったけど笑)
ネガティヴな受けとめ方に囚われていた時期も、実はあったものの
いまは大輔さんがくれたことばの意味が、よくわかる。

そもそも
どこまでいっても、ひとは自由ということ。

自由でいられるか、不自由なのかは
個々人の在りかた次第だということ。

“ひとりの自由”があるひとには
“ふたりの自由”もある

逆に、

“ふたりは不自由”と思うひとは、
“ひとりでも不自由”なのだ
と思う。

(“ひとりは寂しい”と思うときには
“ふたりでも寂しい”というのも、
ベースにある理屈は同じ。)

これを言いきれるのは

一昨年くらいまでのわたしは、ひとりでもずっと不自由で

だれかといてもずっと寂しかったから。

他ならぬ自分の身をもって
トライ&エラーを繰り返ししていく中で、よくわかったこと。

で、人生の幸福度を決める最大の要因は
その人のベースが
“どれだけ自由であるか”
ということ。

だから、なにかを判断するときには
「これを選ぶことで、わたしは自由になるのか?不自由になるのか?」
という明確な基準=信念を中心に持つようになった。

「〜しなければならない」という義務感や
「みんなやってるし、〜したほうが良さそう」とか
「こうしたら人からどう思われるかな?」という世間体みたいなのから自然と離れた感じ。

ストイックな食生活をしていると思われるけど、非日常的にこういうものを楽しむ自由も持ってます

※非日常(ハレ)と日常(ケ)の食事の概念は

また改めて書きたい、、、

あまりにシンプル。

この信念があるおかげで
いまは判断する事案の大小に関わらず、迷いも後悔もほとんどない。

とはいえ、ときに雑音に気を取られて迷うことも皆無ではないけど
迷走する前に立ち戻ることができてる。

(そして、ノイズにやられるときは
感性が鈍っているときが大半なので
そのときは生活習慣や心を見直すことになる。)

そんな状態をベースとして持てるようになったこころは、驚くほどに軽いし
じぶんへの信頼感も高まる一方で、これも日々の幸福感に貢献しているように感じる。

2017年はポジティブな意味で、未知なる冒険の年になりそうな気がしているのだけど
穏やかで自由なこのこころさえ守っていけば、スローステップながらも
どこへでもいける気がしている。

わたし自身も

主人とふたりでも!