人を育てる、というとおこがましいけど
誰かを導くとか 見守るとか
そういう立場にあるときは
その人そもそもが持っているチカラを信じて、
見守る。
“放置する”とは異なって
きちんと興味を持ち、
相手のことを見ていてあげること。
そしてここに、
“祈る”という要素も含めたい。
“祈る”がしっくりこない場合は
“願う”イメージだけど、
ここにコントロール的な目線は入らない。
最近こころにしみた言葉を借りるならば
「念じず、祈る」。
念力は、自力を使う。結果を求める行為。
祈りは、他力を使う。結果を神様に預ける行為。
(※「北極流 神社参拝の心得」より抜粋)
早咲きの河津桜。
仕事先で、お客さんから「早咲きの桜なんですよ〜」と教えていただいた。
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そして、目線を広げて
“食材”に対しても同じく「信じて、祈って、見守る」スタンスであること。
ひとつひとつが本当に美味しい素晴らしい食材であることを知っているし、信じているから
料理=祈りながら見守るだけ。
育てる人・作る人・採る人・運んでいる人や
食材の出身地や生い立ちがわかる食材を
できるだけ選びたいなぁと思ったのは
“安心したかったから”。
実はそれは、
“信頼したかったから”と
イコールだったんだ。
素材そのものが美味しいとわかっているものって、持ち味を活かしたくて
“いかに余計な手は加えずにシンプルに味わうか”が、自然とテーマになっている。
おまじないをかけることはしないで
信じたものを
じっとじっと見つめて手を添えて、
あとはお祈りするということ。
料理も、人との関わりあいも
なんだか似ていることを知る。