“殺していいいのち”と”殺してはいけないいのち”、って?

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アブラムシがさすがに多すぎて泣いたときの写真(°_°)

※一番上の写真、ボールの底に沈んでるゴミみたいなやつ ぜーんぶ

溺れたアブラムシ!怖

☆☆

最初は手でサッ、と払っていたアブラムシも

数をこなすごとに 潰す(殺す)ことも厭わなくなり。

茄子やピーマンにくっついているのを

毎朝 ぷちぷちと潰していると、

なんか妙な気持ちになってくる。

いったい、何億のいのちの上にわたしたちは生きているんだろう??

☆☆

以前、3年間くらいゆるやかに

お肉と魚を食べないベジタリアンをやっていた。

理屈としては

「自分で殺せないものは食べない」

という具合。

殺生自体を否定はしていなかった。

だって、

蚊とか殺すし 野菜もいのち!って言われるし。

(そしてその通りだから)

いまもなお 意見の激しめなベジタリアンの方の意見の中で目にする

「殺すな!」とか「動物は食べ物じゃない」的な意見は、

理屈抜きで感情的な側面としての理解はできていたのだけど

実際に、野菜を育ててみると

殺していいいのち”と”殺してはいけないいのち”の境目は、あやふやになっていく。

野菜を食べるために、

こんなにたくさんの虫を殺しているという事実が

わたしを妙な気持ちにさせる。

それは心苦しさではなくて、

純粋に「食べ物を得たい」という感覚。

殺すとか、殺さないとか

それ自体が問題なのではなくて、

実際に起こっていることに対して、なにをどの程度に認識しているのか

わたしたちが心得ておくべきは

この自覚の点なんだとおもう。

☆☆

食べ物を買うときに

適正な価格を支払う”。

 

これが、いまのわたしができる

いのちへの敬意を払うっていうことなのかなぁ。。と思ってる。

(バカ安い肉とか買うのは我が家では論外)

ゆくゆくやりたいのは

鶏を飼って卵をいただくことと、

お魚を釣ってさばくこと、

ジビエ肉を取る もしくは猟師さんと繋がって

できることを一緒にしていくということ。

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