子ども時代に子どもをやりきらないと、中二病をこじらせた大人ができあがる。

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欲しい情報があって、実家で 過去の日記を読んでいた。

小学校の高学年から 大学生にかけて書いたわたしの日記の数はとても膨大で、段ボール一箱にぎゅうぎゅうに詰めて部屋に置かれている。

なんでそんなに日記を書いていたのかというと、

押さえ込まれた欲求や願望を吐き出す場所が、なかったから。

親の目(特に父親の目)を気にする環境に、ずっといたから。

あるていど大人になったときから、自分が生まれ育ってきた環境、育てられ方にクエスチョンをつけるようになった。

親の名誉のために言うと、わたしは虐待されたわけじゃないし、愛されてはいたと思う。

でも、もっと良い育てられ方があったと、漠然と思ってきた。

そんなこともあって、ベビーが生まれるのに先立ち、育児書を読んでいる中で印象深かった内容をいくつか。

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①「甘え」と「自立」のサイクルを回す

・子どもが甘えたいときに、満足いくだけ甘えさせる=「甘え」(甘やかすのではない)

・ひとりで何かにチャレンジしたがるときは、見守りながらやりたいようにやらせる=「自立」

→「甘え」と「自立」をそのときそのときで繰り返し満たしていく。

 

(「子育てハッピーアドバイス」明橋大二 著より)

②子どもというものの前提を知る

・子どもとは、自分勝手でわがままである。

(周りのことを考えられなくて当たりまえ)

・子どもは失敗する。

(失敗するのが当たりまえ)

・子どもは言うことを聞かない。

(がんこで当たりまえ)

(「子育てハッピーアドバイス」明橋大二 著より)

あ、これだ、と思った。

わたしが欲しかったの、これだ。

どうしてずっと寂しかったんだろう、って

どうして大人になったのに、いつまでも精神的に自立ができない、依存してしまうのだろうと思ってきた。

①のサイクルをやってこなかった。

早い段階から、妹も生まれたし 突き放されたり律される教育をされ始めた。

そして 欲求不満だけど

親や人の目が怖いがために、自分の願望を押し殺して周りに変に気を使う、なぞの子どもになっていった。 

特に父親の言うことはなんでも聞いてたな〜。

それは、怖かったから。

「親にとっていい子にしてたら、親から愛されるし いい子にしなかったら愛されない。」

そう思って生きてきた。

親にとってのいい子を演じさせちゃ、ダメなんだ。

だから②の前提を、わたしはうまれてくるこの子にしっかり持って 接しようと思った。

親に対して甘えられなかったぶん、

いい大人になってから わたしは周りの人にやみくもに甘えていた。

それは”甘えたい”というより”甘やかされたい”、この人はそれを許してくれるのかな=わたしにはそれを許されるだけの価値があるのかな、、、と、

どこかで自分の価値を 人に迷惑をかけながら試していたのだと思う。

甘えをこじらせていつまでも自立できない、依存症みたいな大人になっていた。

当たり前に受け止めてもらえるわけはないのに、受け止めてもらえなかった経験値ぶんだけ

「どうせわたしなんか、、、」という 自己無価値感を募らせていった。

20代なのに、素で中二病みたい。

思いかえすと、なんだか恥ずかしいな、、、。

(ちなみにそんなこじらせたわたしを唯一まるごと受け止めてくれたのが、主人だった。

大人になってからそんな人に出会えたのが、わたしの人生の奇跡なんだと思う)

わたしが感じた窮屈な思いはさせないし、欲求不満にはさせない。

いま自分の中にまだこびりついている前提とか思い込みに、ひとつひとつ気づいて剥がしていっているところ。

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