何にも持たないわたしを、ただ抱きしめて欲しかった-”自己重要感”を持っていないと、人生はとても生きづらい①

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子育て本を読みあさりながら、

自分の子ども時代〜大人時代を振り返ってみてる。

子ども時代から大人になっても ずっと

得体の知れない寂しさ・飢えのような感覚に悩まされてきた。

つねに、ぽっかりと空いている穴。

いまはふつうに持てるようになった、

「どんなことがあっても、自分さえいれば大丈夫」

という感覚を ずっと持てなくて

いつも 誰かの愛情や注目や承認がないと、

自分は未完成なような気がして

不安で生きていけなかった。

自分以外に 自分の外側に

その穴を埋めるためのなにかを、

常に求め続けていた感じ。

自己重要感とか自己愛という概念を

持たない・わからないまま、

20代後半になってた。

☆☆

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そもそも、

わたしをそんな状態たらしめたのは

“親に褒められる存在でなければいけない”

“いい子でいなければいけない”

という世界観。

特に父親から感じる”理想の娘像”みたいなのが強くて

その期待に応えることを 幼い頃からこなし続けていった結果、

自分の内面の願望と、

実際に具現化する自分の現実が

分離したような状態ができあがった。

子どものときは

自分の願望や考えは言ってはいけなくて

言ったら、

親の期待に背く

=嫌われる って

思ってた。

大人になってからは

自分の願望や考えを言ったら

周りの人たちの期待に背く

=嫌われる

に変わった。

勉強ができるとか、

まじめだとか、

正義感が強いとか、

優しいとか、

そんな条件を取っ払った 何も持たない自分は

愛される価値がなかったし

存在していたらいけないのだと思った。

だから

子どものときも大人になってからも、

誰かの顔色をうかがいながら行動を選び続けたけど、

それでも 心の中では自分の願望に背くことをするたびに

ザワザワ、ざらざらした感覚。

後付けした理由で

毎回そんな感覚をねじ伏せてきた。

本当はきっと、

いちばん大切にするべき自分の願いを叶えてやれない わたし自身のことが

わたしは誰よりも嫌いだったし、

大人になってからは自分なりにもがいてみたりもした。

でも、自分を優先してあげたくても

自己重要感を置き去りにしてきたわたしにとって、それはとてもハードルが高かったし

人の期待に応えない、

人にメリットを与えられない自分には価値がない、

という感覚が刷り込まれすぎて

けっきょくずっと変われないまま

20代後半まで生きてきた。

(つづく)

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